第2645回 例会 「創立記念例会(移動例会)

担当:前田賢一会長
会場:セルバジーナ


講師:吉岡 敏君



「再び不易流行」


今日は厚木RCの創立記念例会です。

 今から、54年前の昭和36(1961)年3月7日が創立記念日。その年の5月8日がRI認証日、そして11月22日が認証状伝達日という順番になります。
したがって来年は創立55周年の節目の年にあたります。
この厚木RC誕生の昭和36年という年は、私にとっては大変印象深い年なのです。
実は、私は昭和35年5月3日に結婚しました。厚木ロータリー創立の1年前の年です。そして、その翌年、丸丸1年経った同じ日、昭和36年5月3日に長女が誕生致しました。結果、長女の誕生祝いのつど毎年、結婚記念日も自動的に記憶を新たにさせられます。
世の中の亭主族の中には、往々にして自分の結婚記念日は念頭になく、年数も計算しなくてはわからない人が沢山います。この厚木RCの会員の中にも少なくないだろうと思います。
しかし私は娘の誕生祝いのつど娘の年齢から自動的に結婚年数を確認させられていましたので、娘が離れて住むようになってもしっかりこのことは覚えてしまっています。さらに、厚木RCに入会して一層昭和36年という年の印象が強くなりました。

 さて、私の厚木RC入会は昭和62年8月、三橋年度でスポンサーは、今は亡くなってしまいましたが堀司郎さんでした。
あまり深い考えもなく楽しく厚木クラブのメンバーとして、例会や折々の行事に参加してクラブライフを楽しんでおりました。

 一方私は、平成3年春から、海老名市商工会の会長を務めていましたが、平成8年頃から、商工会から商工会議所への移行を準備しておりました。
いよいよ移行の時期が近くなり、諸々の事柄で時間のやり繰りがつかなくなってきて、度々欠席で迷惑をかけるよりはと退会をしたのが平成11(1999)年12月でした。入会後12年半経っていました。
このころの厚木RCの出席率は素晴らしく、毎週100%出席を続けていました。

 退会してから2年半の後、再び厚木RCへ再入会したのが平成14(2002)年7月でした。今回のスポンサーはチャーターメンバーの黄金井一太氏に引き受けて頂きました。
その後、2004~05年度の会長を務めました。全く何も判らない会長で、幹事を引き受けてくれた西嶌さんのおかげで勤まったようなものです。
ただ会長を務めたおかげで、それまでよりもロータリーについて考えるようになりました。
会長には、地区を通じて多くの情報がもたらされます。そうした中で知識も増え、考えることも多くなり自然にロータリーについての理解が進むのだと思います。

 そして2007~08年度に、晴天の霹靂のようなガバナー補佐指名があり、これまた五里霧中の中で、手探り状態で勤めました。
ガバナー補佐を務めることで、自クラブ以外のいろいろなクラブ運営に接することで、自クラブの良さを再確認できたと思っております。

 入会し、退会し、再入会して、暦の上では28年、会員として25年が過ぎようとしています。この間、30周年、50周年という印象深い年度も経験しました。
いろんなこともありましたが、今思うことは、厚木RCは「大人のクラブ」だという思いです。

 先日、1月27日のクラブフォーラムで、本多会員が「不易流行」について話された中で、

「厚木クラブの不易は伝統を重んじる風土があり。厳とした風格がある。」

「流行については良いセンスで対処している。外部よりの押しつけあるいは激変を伴うものは受け入れ難く、気が熟すのを待って消化している。」

と述べられていますが、私も全く同じ感じを持っています。

 言葉を換えていうと、ロータリーの目的である「意義ある事業の基礎として奉仕の理念を奨励し、これを育むことにある」を「不易」として、毎年度新たにもたらされるRIや地区の方針ついては大人の考えで受け入れていくことが「流行」だと思います。
こうした厚木クラブとしての大人の運営方法は、創立以来厚木クラブを構成してきたチャーターメンバーを始めとする会員の方々の、良識あるクラブ運営の賜物と思っています。

 こうした厚木クラブらしい伝統は、クラブが存続する限り継続するものと信じております。



懇親会


クラブ会報・IT委員会 2015年 3月 03日 火曜日 | | 会長・幹事報告